
こんにちは。ずっと読みたかったけど、なかなか読めなかった…。心理学者アドラーの教えをわかりやすくまとめた本、「嫌われる勇気」を大学生の僕が読んだ感想をつらつらと書いていきたいと思います。
読んでみて率直な感想は?
一言でこの本を読んだ印象を伝えるとするとアドラーの教えは
理論的にはめちゃくちゃ惹かれるが実践するのが難しい教え
のように感じました。もちろん僕が完璧にアドラーの教えを理解しているとは限りませんし、こんなの机上の空論だ!と言いたいわけでもありません。
ただ単に、「言っていることはわかるけど、これを飲み込むのも実践するのもとても大変そうだな」と思ったということ。そこは誤解のないようにはっきりしておきたいのです。
幸せになるためには「貢献感」が必要
哲人 「共同体、つまり他者に働きかけ、『わたしは誰かの役に立っている』と思えること。他者から『よい』と評価されるのではなく、自らの主観によって『わたしは他者に貢献できている』と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。」
これは哲人と青年の対話の一部の引用です。
対人関係の悩みをシンプルなものに変え、自分の幸せを実現するためにアドラーが必要だと考えた「共同体感覚」を実現するために必要なこと、それは 「自分に価値がある」と感じることだとアドラーは述べています。
一般的には、人は他人から認められたいと思っており、認められることで幸せになれるものなのだと思う人は多いでしょう。しかし、人は承認欲求を満たすことで幸せになるのではないとアドラーは言います。
それはなぜか。人から認められるかどうかを気にしていては、常に人からどう思われるかを気にし続けなくてはならず、不自由だからです。
これでは自分の人生を生きるのではなく、他人の人生を生きることになります。
人の機嫌を伺って生きてまで承認欲求を満たすことをアドラーは幸せとは考えません。アドラー心理学は
承認欲求を満たすこと=他人の人生を生きること
だとしています。
対人関係をシンプルにするためは課題を分離する
自分がどんなに頑張ったとしても、それを認めるかどうかはそれを見た人の問題であり、私達にはどうにもできません。
例えば、僕がめんどくさいからといって寝癖を直さずにテニスをしていたとしても、それを「だらしない」と思う人もいるし、「大雑把でおおらかな人だな」と捉える人もいるかも(いないかもw)しれませんよね。
自分の行動を他人がどう評価するかは自分には決められないのです。
もちろん、他人の問題を自分がいくら考えたところで、なんの対処をすることもできないし、どうにもならないことを考えることは無駄なのです。
自分にどうにもならない他者の課題は考えずに、自分でどうにかすることができる問題だけに目を向ける。これをアドラー心理学では「課題の分離」といいます。
僕はこれ、めちゃくちゃいい考え方だと思っています。なぜなら、自分ではどうにもならないことは考えても無駄だと思うことができれば、自分が今何をできるかだけを考えることができ、自分のやりたいことをできるからです。
ここを読んで、いまサークルについて悩んでいる自分に照らして、色々考えました。
サークルがだるければやめていい
私事ですが、僕はテニスサークルの幹事をやっていて、立場上テニスをやめることはできません。少なくともまだしばらくはテニスをやめることができない立場になってしまったからです。
別にテニスは嫌いじゃないし、むしろ大好きです。けれど、幹事となると話は別です。
テニサーなのでテニス以外に遊びもしますし、飲み会だってあります。自分が出ない試合でもサークル員が試合をしていれば応援に行かなきゃいけないこともあるし、テニス以外のところでたくさん時間を取られます。サークルの運営をミスったら僕らの責任です。
こうしたことが分かっていたから、幹事に誘われた当初から、「サークルで大学生活を半分も潰してしまっていいのか」と悩みましたし、そうして出した僕の結論は「幹事をやりたくない」でした。
ブログを書くようになってからはそれが特に顕著になりました。僕は1年生のとき「ブログを書いてお金を稼ぐ」というどっかで見たようなフレーズに触発されてブログを始めました。当初はお金を稼ぐことが1番の目的で、実際に続けていると少しずつですが成果は出てきました。
僕はいろんな作業をコツコツ積み上げるのが得意で、ハマると猛烈に熱中します。ブログは書けば書くほど上達する感覚があったし、記事数やアクセスと言った数字が目に見えて上がっていく。
自分がコツコツやってきたものが目に見える成果となっていくのが楽しくて楽しくて、本当にどハマりしました。毎日ブログのことばかり考えていたし、そのために飲み会や友達との食事を断ったりしていました。ブログを書くことにハマりすぎて授業に全然でなくなったり、テニスも下手になりました。
話が逸れました。でもだからこそ、サークルの幹事のせいで合宿や行事に強制参加させられ、ブログを更新できないときにはに苛立ちを感じていました。どうにかして毎日更新をしようと合宿中の飲み会の合間に一人部屋に戻ってブログを書いたこともあります。
「サークルや授業に割く時間をブログに当てられたら思う存分できるのに」
そう思うたびサークルをやめることを真剣に考えました。その頃、どう考えても僕の一番やりたいことは勉強でもテニスでもなくブログを書くことだったからです。やりたいことができていないと強く感じたからです。
でも、アドラーの教えに従うならこんなことに悩む必要はありません。
サークルをやめたいと思えばやめればいいし、大学をやめたいと思っているならやめればいいのです。
本当にそれが自分のためになると思えるなら、他人の評価は気にする必要がない。たとえその決断を非難する人がいたとしても、決断したことが自分にとって最善なのなら、どっちにしろその人と一緒では最善の道に進むことはできなかったわけです。
このアドラーの「課題の分離」、「貢献感」という考え方のおかげで、僕はサークルにいるべきかということを真剣に考えることができました。
「課題の分離」が僕に及ぼした影響
この「課題の分離」を知ってから、僕はまず第一に、サークルや大学をやめることを恐れる必要がなくなりました。
僕は今まで、もしサークルをやめたら他の幹事の仲間やサークルの人は僕のことを「無責任なやつだ」と考えるだろうと思っていたため、なかなかやめたいと思ってもそれを実行に移すことができませんでした。
自分勝手なやつだと思われることより、自分に嘘をついても「従順なやつ」であることを望んだわけです。
しかし、今となってはその考えは変わりました。やめたけれはやめればいい。そう思えるようになりました。
僕自身が、自分のやりたいことをやるためには、サークルも大学も必要ないと本音で確信しているなら、そこに来る批判は来て然るべき批判だからです。その批判を受けないでいることは、自分の人生に嘘をつくことだと知ったからです。
サークルをやめたとしても、僕が所属している共同体はまだ他にもたくさんあります。その中で、サークルよりも大きな共同体に属せればいいわけです。
幸せへの一歩は、共同体への「貢献感」を持つこと
そして第二に、「貢献感」という考え方を通じて、僕はサークルに貢献することで幸せに生きることができるのではないかと考えたのです。
僕が今まで「面倒くさい」「時間ばかり取られる」「誰にも感謝されないのにやってらんねえ」と思っていたサークルの仕事は、見方を変えれば僕が幸せに生きるためのカギになるのではないかと思ったのです。
サークルという共同体に属していて、僕ほどサークルに貢献感を持ちやすい立場の人はいないんじゃないか。
アドラーの言うように、見返りや承認を求めるのではなく、自分が善いと思うようにサークルに貢献し続ければ、自分を肯定することができるんじゃないか。
それこそ、ありのままの自分を受け入れる(自己受容する)ことができるようになるんじゃないかと思ったのです。
僕がブログを書いていて楽しいのは、自分が記事を書くことで昨日よりも早く文章がかけたり、うまくかけるようになったり、努力がアクセス数などの目に見える成果となって出てくることで自分に成長が感じられるときです。
しかし、これはブログをサボってしまったり、アクセス数が伸び悩むときには僕は幸せを感じることができません。
しかし、サークルに積極的に貢献していくことができれば、たとえその努力が一日途切れたところで自分がサークルに貢献していることは変わららない。となると、僕はいつでも幸せになれるんじゃないか。
バカみたいだけど、実際、めんどくさいことでも貢献しているという実感が持てると嬉しいです。
そうすると初めて、サークルをやめないでいたほうが僕の幸せにつながるのだと思えたのです。
意識は誰に対しても対等であれ

szymonpacek / Pixabay
そして、アドラー心理学のもう一つの教えが、
どんな相手に対しても意識の上では対等であれ
というものです。
僕の身のまわりで例えてみます。僕がいるのはテニスサークルですから、当然テニスが強い人は一目置かれます。
だから、自分よりテニスが上手い人に対してはなんとなく一緒に練習させてもらうのに申し訳ない気持ちがあります。
逆に、自分のほうがうまい場合には相手から「弱いのに練習に誘うのが申し訳ない」と誘うのを躊躇されるときもあります。
どちらもテニスの上手い下手で上下関係が成り立ってしまっている良い例です。
もう一つ例をあげます。僕のように恋愛経験値の低い人間は、楽しそうに惚気話をしてくる人たちに対してなんとなく劣等感を抱くことが多いです。そして、そういう恋愛関係の話が苦手だったりします。
しかし、アドラーはこういった外的な要因に因る上下関係を否定します。
仕事における上司と部下の関係、先輩と後輩の関係、テニスがうまい人と下手な人の関係、恋愛経験豊富な人とそうでない人の関係、これらすべてはあくまでそのスキルやその環境においてだけの話です。
人間は誰しも意識の上では対等であって、そこに年少だとか年上だとかそういったことは一切関係なく、対等に物事を意見し合える関係であるべきだといいます。
お互いがお互いに劣等感も優越感も感じることもなく関われる関係であってこそ、対人関係の悩みもなくなってくるというのです。
まとめ

かなりネタバレを含んでしまいましたが、この記事だけでアドラー心理学を伝えられたとは思いません。文章力があまりなくて申し訳ないです。
しかし、一度読んでしまえば、不満のある現状を変えようという勇気をくれる本だと思います。
アドラー心理学をもっと詳しく知りたい方は「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」に書かれています。
対人関係の悩みなんて尽きませんが、頑張って生きていきましょう!
それでは。


