【書評】堀江貴文氏の「ゼロ」を読んだら働きたくなった。

先日、堀江貴文氏の「ゼロ」という本を読んだ。この本は、証券取引法違反で逮捕、懲役を経て出所したのち堀江氏が書いた本である。

この本には、堀江氏のメッセージがシンプルに詰まっている。

「スタートラインにおいては、誰もが等しくゼロなのだ。…まずはゼロとしての自分に、小さなイチをたす。…本当の成功とは、そこから始まるのだ。」

この言葉にこの本の内容は集約されている。

この本は堀江貴文という人間がどういうふうに生きてきたのかが描かれている。何も特別な人間ではない、一人の田舎者としての堀江貴文が、どう育ち、どういう考えで生きてきたのか。

ホリエモンだけがいきなり100から始まったのではなく、人間は誰しも0から始まるということ。人生は掛け算のショートカットばかりが重要なのではなく、コツコツ1を足していった結果掛け算ができるようになるのだということ、それを積み重ねた結果、今の堀江貴文があるのだということ。

この本では堀江貴文という人間が何も特別な人間なのではないということを終始述べている。そして、それをより効果的に理解してもらうために、彼は自分の生い立ちなどについて書くのである。

その堀江貴文の哲学を一言で表しているのが先の言葉である。以下、僕が象徴的だなと思ったこの本の一部を引用して僕なりに感想、解釈をしていきたいと思う。

ゼロ 何もない自分に小さなイチを足していく

「仕事でも人生でも、もちろん異性関係でも、キョドってしまうのは、性格の問題ではない。ましてや、ルックスなど関係ないし、学歴や収入、社会的な地位とも関係ない。これはひとえに「経験」の問題なのである」

これは僕自身すごく身にしみる言葉である。

人間、得意なことや苦手なことがある人がほとんどだと思う。僕もたくさん苦手なことはあるが、特に恋愛であったり人をまとめたりすることは苦手である。逆に、運動をしたり勉強をしたりするのは得意である。この言葉の言うとおり、これら2つの違いはひとえに経験量の違いである。

僕は小さい頃から知識を取り入れる行為は得意だった。テストのため、受験のために勉強するのも大変ではあっても嫌いではなかった。運動するのも得意で、毎日公園に行っては野球やサッカー、プチゴルフ、増やし鬼、縄跳び、一輪車、卓球、バスケ…なんでもやった。どれもそれなりにこなせた。

それはなぜか。どれもこれも、はじめに一度やって楽しくできたからである。テストだって、最初に受けたテストで0点を連発したりしていたら、僕は絶対勉強など好きにならなかったと思う。好きになれたのは、最初にテストを受けてそれなりに結果がよく、それを褒めてくれる先生がいたからである。

一番最初にやった野球も、ずっとボールがうまく投げられずじまいだったら嫌いになってしまっていただろうと思う。結局、一番最初に、「これは楽しい」と思える成功体験があったかどうかがすべてを決める。しかし、この一番最初になにに成功体験が生まれて得意になるかは、正直完全に運だと思う。

逆に恋愛のことを考えてみよう。僕は恋愛に関してチャレンジしたことは今までほとんどなかった。小さい頃は「この子可愛いなぁ」ぐらいは思うことはあっても、それで付き合いたいとは思わなかったし、そもそも付き合うということがどういうことなのか、いまいちイメージがわいていなかった。中学生頃になるとさすがに付き合うという行為に多少のイメージはついてくるものの、なんだか自分にとっては遠いところにある行為のように思え、行動できなかった。高校になってからは、好きな子がいても仲のいい関係が壊れるのが嫌で行動できなかった。

こうしてみると、ちゃんとした恋愛感情が出てきてから、僕は恋愛に関してしっかり行動できたことがなかった。成功した体験も、ない。だから恋愛に対していいイメージはない。しかし、恋愛に対して成功体験のイメージがないのは決して運だとは思わない。結局のところ、僕は周りから見れば大したことのない体裁を気にしてチャンスを逃し続けたのである。その結果苦手になったのだから、それは運などではなく、当然のことだ。

この言葉を聞いて、そういう意味で僕は、僕らに無理強いされたレタスを食べられずふてくされていた僕の野菜嫌いの同級生と大差はないのだと、身につまされた。

「自らが小さな勇気を振り絞り、自らの意思で一歩前に踏み出すこと。経験とは、経過した時間ではなく、自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていくのである。」

この言葉を聞くと再認識する。結局、何かが得意な、好きな人間というのは、最初に勇気を振り絞って成功体験を得た人間なのだ。その勇気を払おうとするかどうかが、好きになれるかどうかの分かれ目なのだ。できないと決めつけて思考停止した瞬間に、人間の成長は止まる。常に考え続けなくてはならない。

「小さな成功体験の前には、小さなチャレンジがある。そして小さなチャレンジとは、「ノリのよさ」から生まれる。ノリの悪い人は、人生の波にも乗れない。もちろん血肉となるような経験も得られず、自信にもつながっていかない。シンプルに考えればいい。すべては「ノリのよさ」からはじまるのだ。」

そして、成功体験を積むために必要な「チャンスをつかむ」ことが、ノリの良さから生まれるということをホリエモンは伝えている。

「これからの時代、時間以外に提供可能なリソースを持っていない人、給料を漫然と「もらう」だけの人は、ほどなく淘汰されていく。」

仕事が充実しておらず、受け身の姿勢で取り組んでいる人間に対するホリエモンのメッセージである。

僕もバイトをしている間、ずっとこういうことを感じていた。毎回毎回バイトに行くのが少し嫌だったのは、僕が受け身で働かされていたからだったのだ。

ひたすら毎回マニュアル通りになんの工夫と改善に務めることもなく料理をひたすら作り続け、漫然と自分の時間を切り売りしていたから、全然面白いともなんとも思えなかったのだ。こんなに単純で当たり前のことになぜ今まで気づかなかったのだろうか。

この時の自分はまさに、時間以外に提供するリソースを持っていなかったのである。

「能動的に取り組むプロセス自体が「仕事をつくる」ことなのだ。」

能動的に働くとは、自分から創意工夫をし、昨日より今日、今日より明日と一歩ずつ改善、進化しながら働くということ。そういう姿勢でやっていれば、すべてのものに「やりがい」を見出すことができる。

「人はなにかに「没頭」することができたとき、その対象を好きになることができる。」

そのままである。野球でもテニスでも恋愛でも麻雀でも勉強でもなんでも、没頭することで好きになることができるのである。

「物事を「できない理由」から考えるのか、それとも「できる理由」から考えるのか。それだけだ。突き抜けられるかどうかは能力の差ではなく、意識の差なのである。」

僕がいろんなことに苦手意識があることは先程述べたが、それらの多くは確かにできない理由を考えてばかりで、そこから先に進めなくなってしまったことばかりである。

例えば僕はテニスのサーブが苦手なのだが、僕がサーブなんてうまくなるはずがない、ずっと練習してもうまくならないのだからもうできっこないと考えていたフシがあったことに気付かされた。

改善できるところは他人に教えてもらうなり自分で分析するなりプロと比べてみるなりできることはまだまだたくさんあるはずなのに、思考停止の努力を続けて上手くならないものなのだと決めつけていた自分がいた。

できる理由を探そうとしても全く浮かんでこないのがその証拠である。できる理由ってなんだ?と思ってしまう時点でダメだ。あの人にできるのだから自分にできないはずがない。そう考えようと思った。

「知識やテクニックを覚えるのは、イチを積み重ねたあとの話だ。」

知識やテクニックというのは、誰かに教わることもできる。ただし、それがいつでも誰でも効果があるわけではないことは、僕も普段から感じているところだ。

例えば、僕は今書評を書いている。正直いって慣れないし、全然うまくかけない。だからと言って、書評ブロガーの方に僕がアドバイスをもらったところで、いきなりいい書評がかけるわけがない。

アドバイスを一度もらっただけでうまくかけるのだったら、それは天才と呼ぶべきだ。みんなが一度のアドバイスでうまく書評がかけるようになるのなら、みんなプロになってしまうが、現実世界でそんなことはない。アドバイスを貰おうが、素人は素人である。いきなり玄人にはならない。

アドバイスを活かすにはそれ相応の土台が必要なのは当たり前のこと。これが堀江氏の言わんとしているところである。

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まとめ

堀江貴文「ゼロ」から象徴的なフレーズを抜き出して、僕なりに解釈し感想を並べてみたがどうだっただろうか。正直、この本にはあまり特別な方法論などは書いていない。当たり前のことばかりが書いてある。しかし、当たり前なのに僕達が忘れかけていることがたくさん書かれている。

ゼロにイチを足していく。この本の内容はこの言葉だけで説明できる。しかし、この言葉に込められた真意を読者の共感をもって理解してもらうために、堀江氏はこの言葉に肉付けをして本にしている。

なぜゼロなのか。ここに込められたホリエモンの真意を知ることができるのがこの本です。気になる方はぜひ見てみてください。