学生が「勉強がつまらない」と言う理由とグローバル化。

大人が知りたいことを子供に押し付けるから日本の教育は面白くない
子供が知りたいことを教えてないから。

こんにちは!今日はみなさん嫌いな勉強の話をしたいと思います。
皆さん小中と義務教育課程を受けてきたと思います。ほとんどの人は高校でも教育を受けてきた人がほとんどでしょう。でも、勉強するのって楽しいですか?

僕は基本的に学校で勉強するのは嫌いでした。いや、正確に言うと嫌いなことに気づいていなかったのだと思います。僕は、小さい頃受けたテストで成績が悪かったことも、授業が苦痛だと感じたこともありませんでした。そういういわゆる優等生タイプだったので、もしかして俺勉強好きなのかなと思ったこともありますが、今になって考えるとそんなことはなかったです。だって好きなことってふつう自分からやりますよね。誰に言われなくても。でも小さい頃の僕は、仮に学校で勉強しろと言われなかったら絶対に勉強なんてしていません。授業の時間に「何をやってもいい」と言われたら、ゲームか野球をしにいっちゃうに決まっています。勉強は好きではなかったんだと思います。。

じゃあなぜそんな好きでもないものを好きと思おうとしていたのか。それは、そう思っていたほうが生きやすいからです。親や先生に褒められ居心地がいいからです。




退屈な勉強

中高、大学を通して学校から受け身的にさせられる勉強の退屈さに気づきました。
例を挙げると、倫理。倫理の授業は、昔の人間の人間社会に対する考え方や宗教について教えられます。でも、それを教わる日本の高校生で、宗教を身近に感じていて興味がある人がどれくらいいるでしょう。「宗教とかなんでそんなんにハマるんだろ」などと言う人たちに宗教について教えたって理解できないのは当たり前です。社会への問題意識が乏しい日本の高校生にジョン・ロックやモンテスキューの思想を教えても「へぇそんな奴がいたのか」くらいにしか捉えられません。知らないし、興味もないことだからです。僕は大学生になってようやく昔の人がいろいろなことを考えたり宗教にすがった気持ちがわかってきたので、それらを勉強することは楽しめますが、ふつう興味がないものは楽しめません。こんなのを教えるのは興味のある大人の自己満足です。

しかしそれはある意味当然です。学校は、いかにも子供のために社会に出て必要なスキルを授けてあげる場所であるかのように扱われていますが、そんなことはありません。むしろ学校の本質は「大人が、国が子供に教えたいことを教える場」です。

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教育は大人の自己満

教育が大人や国からの押し付けであることは、学校というものの成り立ちを考えても自然です。学校教育制度ができた明治時代には、未来を担う子供たちに、いわゆる「国民」意識を植え付け、富国強兵に貢献させるためのある種洗脳をする場として学校が登場しました。国家にとって都合の良い情報を押し付けられるのが前提なのですから、そりゃあ学校なんて面白いはずがありません。

もちろん僕は学校教育を全否定しているわけではありません。文字の読み書きやお釣りの計算程度の算数などはできなければ困ります。それが必要な勉強だということも否定しません。しかし僕が言いたいのは本質的なことで、僕たちはそういう本当に自分に必要な勉強ならば自分でインターネットを使い、勝手に勉強できる時代にいるということです。

教育を問い直す

昨今のグローバル化で国家というものが持つ意味がかつてと比べ薄れつつあります。同時に学校教育の存在意義も問われています。明治時代に生まれた学校教育制度に固執して凝り固まったイデオロギーを植え付ける必要性がどれほどあるのか。様々な国家の弊害とともに再考する時代に来ていると思います。
そして勉強がつまらないと思っている学生は、自分がそれに興味がないということを自覚し、興味のあることをやりましょう。誰がなんと言おうとつまらない勉強はつまらない。そう主張する人が増えれば、社会全体が学校教育を問い直すいい機会となると思うからです。
それではまた!